ティモシー・リアリー『死をデザインする』の要旨

デザインとは、ある目的を達成するために何かを設計することです。これはモノづくりだけに限定されるものではなく、たとえば人生設計もデザインの1つです。本記事では、いつかは必ず訪れる「死」について考えることで、人生をどう生きるかを哲学するということを述べていきます。

アメリカの心理学者であったティモシー・リアリー(1920-1996)は、『死をデザインする』という一風変わったタイトルの本を書きました。これは何も安楽死や自殺の方法、処刑の方法をデザインするといったダークな話ではなく、どのように死ぬかを考えることがどう生きるかを考えることにつながるという主旨の本です。
人間はいつどのように死ぬか分かりません。ただ、自分の人生を満足に生きることができれば、いつか死を迎えたときに悔いを感じないので、心安らかで幸せな死をデザインできたと言えます。周りの人からも「立派に生き立派な死を遂げた」と思ってもらえることでしょう。つまり、幸せな死をデザインすることは、幸せな生をデザインすることなのです。
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ところで、生きることの意味は何なのか…そう悩んだことのある人は多いのではないでしょうか。
人間はいつか必ず死にます。生きている間に良いことをすれば天国に行き、悪いことをすれば地獄に行くなどという考えもありますが、それは人間の作り話に過ぎません。誰も天国や地獄に行ったことはないのですから。つまり、死んでしまえばそれで終わりです。
それならば、いったい何のために生きているのだろう…どうせ死ぬのだから人生なんて無意味でつまらないものだし、生きていても虚しいだけだ…そう思い詰めてしまうのも無理はありません。
このような思考のことを、ドイツの哲学者であったフリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)は「ニヒリズム」と呼びました。ニヒリズムとは虚無主義とも呼ばれ、「すべての物事に価値や意味などない」とする考え方・状態のことです。 ニヒリズム的思考に陥ると、人は往々にして「生きる意味はない」と考えて死後の世界に希望を抱くようになり、宗教や神といったものに救いを求めます。しかし、そのようなものに救いを求めても何も変わりません。自分を変えることができるのは、宗教や神ではなく、今生きている自分自身なのです。信じるべきは神さまではなく、自分です。

ニーチェはニヒリズムを克服するために、生きることを純粋に楽しんで遊ぶことを提言しています。要するに、人生を自由な「遊び」と捉えることで、自己の生きがいを発見できるということです。
もっと分かりやすく言えば、月並みな言い方かもしれませんが、趣味や仕事、娯楽などにおいて自分のやりたいことをやり、今生きているこの時を存分に楽しむということ。いつかは死んでしまうのだから、悔いのないようにやりたいことをやり尽くせば良いのです。この世界には楽しいことがたくさんあります。楽しいと思う娯楽や、趣味の1つくらいは誰にでもあるでしょう。仕事に関しては、なかなか自分に合う仕事が見つからない人もいるかもしれません。しかし、いつかはかならず「天職」と思える仕事に巡り会えますし、天職を探るまでの間にも何かしらの仕事をしているはず。その仕事は、あなたがとりあえず今やりたいと思ってやっている仕事です。嫌になったら辞めれば良いだけで、辞めるまでの間は楽しめば良いのです。人生はある意味、死ぬまでの暇つぶしとも言えます。

宗教や神に依存しても、このような楽しさは絶対に教えてくれません。考える前に行動を起こし、自分で人生の楽しみを見つけ、思う存分やり尽くしましょう。
【参考】
他方で、宗教を信仰することで救われることもあるのは事実です。
たとえば愛する人と死別してしまった場合、「死んだら終わり」という前提で考えると永遠の別れとなり、絶望感に支配されてしまいます。しかし、死後の世界があると信じることで「いつか自分が死んだら再会できる」と希望を持つことができます。これも一種の「死のデザイン」であると言えるでしょう。
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