ディズニーランドの非日常性 - 美術・デザインにおける「遊び」の発想法

東京ディズニーランドは言わずと知れた有名なテーマパークですが、非日常性を演出するためにかなり凝った工夫がなされています。本記事では、そうしたディズニーランドの非日常性について解説します。
ディズニーランドが非日常性を演出するために行なっていることは、大きく分けて次の5つです。
以下の内容を徹底することで、ディズニーランドは完全な非日常世界を維持しています。
ディズニーランドの園内からは、外にある建物や自然などの景色が一切見えないようになっています。園内のどこからも外界の風景が見えないように作られているので、相当なこだわりです。
ディズニーランドにある樹木はほとんどが落葉しない常緑樹で、花も常に満開のものに植え替えられています。「植物が枯れる」という現実味のある風景を見せないための工夫です。
園内に落ちたゴミは「カストーディアル」と呼ばれる清掃スタッフが速やかに回収しています。また、トイレも常に清潔な状態が維持されるよう清掃スタッフがこまめにチェックしているので、汚れていたり紙がないといったことがありません。園内は常に清潔な状態に保たれています。
園内の風紀を乱すような来園者が入園できないようにするために、ディズニーランドはチケットの料金が非常に高くなっており、ディズニーランドに向かうまでの交通費も高く設定されています。ヤンキーのようなタチの悪い人間はお金を持っていない人が多いですし、お金を持っていたとしてもわざわざお金をかけてディズニーランドに悪いことをしに行こうとは思わないものなので、この点に着目して上手く排除しているというわけです。
ディズニーランドでは全身仮装がNGとなっていますが、小学生以下の場合は許可されています。ただし、その場合もディズニーの世界観が壊れないように、ディズニーのキャラクター以外の仮装は禁止されています。
大人が一切禁止なのは、実際のキャストと間違われやすく混乱を招くためです。ただし、ハロウィンなどの期間は大人でもディズニーの全身仮装が許可されるようです。
【関連書籍】能登路雅子『ディズニーランドという聖地』
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補足として、ディズニーランドなどの遊園地におけるアトラクションの特性について考えてみましょう。
メディア論研究で知られる、カナダ出身の社会学者であったマーシャル・マクルーハン(1911-1980)は、あらゆるメディアは人間の身体の拡張であり、人間の身体能力では不可能なことを可能にしてくれるものだと述べました。
ここで言う「メディア」とは、インターネットのような電子メディアに限定されません。文字どおり「媒体・手段」という意味です。
たとえば、眼鏡は人間が何かを見るための媒体・手段です。そして、眼鏡というメディアは視力が低い人が裸眼では見えないものを見ることができるように、人間の身体能力を拡張しています。よって、眼鏡は目の拡張です。
同じ考え方で、補聴器は耳の拡張です。車や自転車は足の拡張です。インターネットは集合知などと言われるように、脳の拡張です。
この理論を応用して考えてみると、遊園地のアトラクションもメディアであり、人間の身体の拡張であると考えることができます。
たとえば、遊園地にはジェットコースターをはじめとした高所を舞うアトラクションが多数あります。こうしたアトラクションでは、まるで自分自身が鳥になったかのような体験をすることができます。その体験は、人間の身体能力では絶対にできない体験なので、ジェットコースターなどは人間の手足の拡張であるといえます。
つまり遊園地のアトラクションは、人間が現実では体験できないことを疑似体験させてくれるメディアであり、人間の身体の拡張なのです。
【関連書籍】マーシャル・マクルーハン『メディア論:人間の拡張の諸相』 / マーシャル・マクルーハン『メディアはマッサージである:影響の目録』
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