岡本太郎は自身の著書
『今日の芸術:時代を創造するものは誰か』において、上手く描く必要はなく、下手であっても誰もが表現のよろこびを噛みしめるべきだと述べました。
上手く描くということは、よくよく考えてみれば無意識のうちにどこかに「基準」を求めていることになるので、絶対に何らかの作品の真似になってしまいます。そうではなく、自分の表現したいと思うありのままを作品にぶつけることが芸術表現の本質であり、そのことを岡本太郎は「爆発」だと言ったのです。
つまり「芸術は爆発だ」の意味は、何物にもとらわれずに自分が表現したいと思うありのままを作品にぶつけるということ。このことを踏まえれば、たとえ突飛な(奇想天外な)表現であってもそれが本当に自分の表現したいものであるならば、堂々と表現するべきであると言えます。
実際、岡本太郎の作品(例:森の掟)も一見するとよく分からない突飛な表現に見えますが、彼なりの哲学があります。
岡本太郎「森の掟」(1950)
画像出典:家庭画報.com
詳しい内容は、岡本太郎の著書『今日の芸術:時代を創造するものは誰か』を参照。
芸術というと実際に作品を制作することだと思いがちですが、作品を鑑賞することも立派な創作行為です。なぜなら作品を観賞する際には、各々の観賞者のイマジネーションによって各様に「作品に対するイメージ」が創出されるからです。つまり、観る人の数だけ無数の「作品に対するイメージ」が、各人の心の中に描き出されます。
つまり、 芸術作品は作者と鑑賞者が相互に作用して初めて、観賞者が描き出すイメージとして完成するもの。分かりやすく言い換えれば、作者が創るのはあくまで作品の半分で、残りの半分を創造するのは鑑賞者です。鑑賞者が作品とどのように対峙するかによって、作品は異なる様相を見せます。
芸術作品というと「何だかよく分からないもの」などと思われがちですが、「このように解釈しなければならない」という決まりはなく、そのようなことは作者も意図していません。見る人が好きなように解釈すれば良いのです。
そうすれば作品を鑑賞することも楽しくなるはずですし、独特の解釈をして「何物にもとらわれることなく、自分が思うがままに作品を解釈すること」も「芸術は爆発だ」の考え方に結びつきます。「芸術は爆発だ」は制作者だけでなく、鑑賞者にも当てはまる考え方なのです。